遺言について。
私の父は6年前に亡くなりました。
父との最後の夜、家族交代で父の病床につきそい、私も父の手を握りながら今思えば最後となる時間を過ごしました。
病床の父は、せん妄状態で幻覚が見えるのか意味不明のことを話します。亡くなる寸前の人とはこんなに話すことができるのかと思うほどいろいろなことを話します。若い頃に弟と共に鉄工所を営んでいた父は、私を当時の弟と勘違いしているのか加工物の納期について相談してきます。弟は父より先に逝ってしまったので父の目には弟が見えていたのかもしれません。そうかと思えばまるで宇宙語のようなおかしな音の言語を話し始めたりもします。目を見開き目線は宙をさまよいます。
そんな中、ふと思い出したかのように突然、以前の正気の父が戻ってきます。
私の顔を撫ぜて、「みんなで仲よくな。」といいます。
私にとっての父の遺言はこれだけでした。
翌日、父は意識不明になり逝きました。
父は遺言書を残しませんでした。
財産と言えるような財産などなかった父なので必要ないと思ったのか?そもそも遺言を書くというような発想が無かったのかそれはわかりません。
遺言書を残すことは、自らがこの世を去った後の財産の分配について残された家族が困らないように、争い事が起きないように備えるものという認識は間違ってはいないと思います。
しかし、遺言書にはその他にもさまざまなことを記すことができます。
法的効力はありませんが、遺言には「付言事項」というものを記すことができます。
遺言書を通して、家族やお世話になった人に感謝の言葉を記したり、希望や願いを記したり遺言者として最後のメッセージを記すことができます。
・・・自らが亡くなった後に読んでもらうメッセージを生きている今、書く。
その行為は遺言を記したその人が、その後の人生で残される人々に、改めてこれからできることが何であるかを気づかせてくれる「きっかけ」になるかもしれません。
遺言書を書いてみるということ。
そのことによって遺言者自らのその後の残された人生にも、前向きで豊かなものを与えてくれるかもしれません。
また、残された家族にも、財産の事だけでなく「言葉の支え」を残すことができる手段かもしれません。
現に私の父の最後の言葉は、今も私に伝わっています。
現実には問題はいろいろあるでしょう。しかし、父との最後の晩に聞き取れた最後のメッセージは、何かの決断をするとき、私の心の中に蘇り、その後の行動を慎重なものに代えさせてくれます。
最後の言葉にはそんな力があります。
元気に生きていると遺言なんて思いもつかないかもしれません。
しかし、家族のことを思い、自らのこれからの事を見つめなおすきっかけとしても、一度書いてみる価値はあるのかもしれません。


